日本とスリランカ


 スリランカは、インド半島の先端に浮かぶ、北海道を一回り小さくしたぐらいの小さな島国で、その昔、セイロンと呼ばれていました。人口は約2000万人程、正式な国名は、「スリランカ民主社会主義共和国」です。

 スリランカがかってのセイロンだったといえば、多くの方は紅茶・宝石・スパイスの産地、佛教遺跡の多い国、辛いカレーなどを思い浮かべるでしょうが、先ず日本との外交関係について紹介したいと思います。 日本とスリランカは1952年4月に外交関係が樹立され、現在まで良好な関係が続いています。実は、両国間の友好関係の礎に、“Hatred ceases not by hatred, but by love”という仏陀の言葉の一節があります。

 第二次大戦後、日本が与えた戦争被害に対する賠償、日本独立の為の条件等を決めるので1951年9月、サンフランシスコ対日講和会議が開催されました。この席上で、後にスリランカの初代大統領になるセイロン国全権大使ジャヤワルダナ大蔵大臣(当時)はアジアからの参加国中ただ一国、上記の一節を引用して対日賠償請求権を放棄する旨の演説を行いました。

 「セイロンは日本から受けた損害に対して賠償を請求する権利を放棄する。仏陀の言葉にある“Hatred ceases not by hatred, but by love ”憎悪は憎悪によって払拭されない、慈悲の心によってのみ払拭される と信じているからである。また、日本が主権自由国家になる過程の妨げになるので講和条約に制約をつける事には賛成できない」というのが演説の主旨でした。

 この演説は他国の出席者にも感銘を与え、日本の独立に消極的であった講和会議の流れを変えました。では何故、セイロンは日本に対して賠償請求権があったのでしょう。

 当時のセイロンは連合国側の英国領であった為に1942年4月日本軍はコロンボ港、ラトマラナ国際空港、トリコマリ港を攻撃しています。この攻撃は英国軍に損害を与えただけでなく、民間人への人的被害、軍事施設周辺の民間人所有の田畑、ゴムプラント等にも損害を与えています。この様な理由から発生した損害に対する賠償請求権を持ちながら、ジャヤワルダナ全権大使はこれを放棄する旨の演説を行いました。

 スリランカでは多くの人達が現在でもこの演説を覚えています。これに対して私達日本人は、どれだけの人がこの演説を知っているでしょうか?

 ‘わんりぃ’の紙上でスリランカを紹介するにあたり、観光ガイドには書かれていない、スリランカの話を紹介したいと思います。日本とスリランカの関係を再認識して頂ければと願っています。